「AND」の限りなき可能性 – さようならモリッシー。もうあなたに「ASK」できない。2/3

その2–「AND」の限りなき可能性の巻


こんばんは。Blue Cats Cafe へようこそ!今夜も引き続き The Smiths 「ASK」 についてさらに想像(妄想)を膨らませていきたいと思います。

一つ目は前回書いたように、「僕に聞いてよ」と言っている「僕」は、この引きこもりっぽくてルクセンブルクの出っ歯の女の子に詩を書いている男の子に、妖しく言い寄っていることにしましょう。何か試してみたいなら、僕に訊いてよ。僕と一緒にしなよ。だってほら見て、僕、爆弾持っているんだ…!!!!!こうしてみると、切なくて、どこか痛々しい、青春サスペンス的なシーンが見えてきませんか?ん…?

では二つ目の妄想。本当は頭の中ではおっそろしいことを考えているけど、シャイだからありがたいことに、行動に移せない。僕と話してみたら、そんなおっかない考えなんて吹っ飛んじゃうよ。愛だよ、愛。だって愛で結ばれる方が、爆弾で吹っ飛んで骨も肉も君のか僕のか、そこでさっき新聞買っていたおじさんのかもわからないくらいごたまぜになって一つになるよりは断然いいだろう?

そして三つ目の妄想。今度はそんなに深読みせずに、シャイなことは素敵だよ。全然おかしなことじゃない。おまけに君のやりたいことをうまいこと妨害してくれるしね(ここでウィンク😉)。ね、だから僕に訊いてよ。手助けするから、一人で悶々としていないで、繋がろうよ。でなきゃそのうち爆弾がぼくらをむりやり一緒くたにしちゃうよ…かな?

はい、この😉ですが、重要です。ではこの😉を理解していただくために、今流行りのコミュニケーションツール、いわゆる会話術をご紹介します。近頃巷では「BUT」を「AND」に換えてワンランク上のコミュニケーションを!と唱える方がたくさんおられます。どういうことでしょうか。少し見てみましょう。確かに「BUT」は先に言ったことを否定してしまいます。「君のプレゼン、とっても良かったよ、でももう少し時間の配分考えたほうがよくない?」と言うのと、「君のプレゼン、とっても良かったよ。それでさ、今度は時間の配分に工夫してみたらもっと良くなると思うよ」と言うのでは全然印象が違いますね。こうするとよりスムーズなコミュニケーションが可能になり、自分にも巡り巡って恩恵があるということらしいです。この曲でモリッシーはシャイなことやはにかみやであることを「AND」を使うことによって肯定していますね。それが君のやりたいことを妨害するような厄介者なんだけど、そんなの君もわかってるよね。いいんだよ、それで。一人ではできなくても僕がいるじゃないか。


一般的にこの曲は、部屋で悶々と頭ばかりで生きていないで、外に出てきて一緒に本当の世界を体験しようよ、というポジティブなメッセージとして解釈されているようです。引きこもりっぽくてルクセンブルクの出っ歯の女の子に詩を書いている男の子(あるいは女の子)は、実はこの曲を聴いている私たち。実際に出っ歯の女の子のpen palはいないけど、どういうわけか自分によく似ている、と共感する人が多いようです。

では私の学生時代のバイブルとなっていた『モリッシー詩集』で中川五郎先生はどのように解釈されたのでしょうか。


  はにかみっていいよね
  はにかみがあるこそ
  みんな人生でやりたい放題やったりしないんだ


『モリッシー詩集』モリッシー(著)中川五郎(訳)シンコーミュージック1998 p143 

変化球ですね。面白いですね。さすがです。

結局のところ、正しい読み方なんてないのかもしれません。詩は一度世に出されたら、すぐに親離れし、独自の道を歩んでいくもの。それを読む人が所有できるのです。だからこそ詩って面白いのだから。


つづく。


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